朝から異様に人口密度が高い。
「・・・何かあるのか?」
短い朝礼を終えて執務室に入った途端、日番谷は口を開いた。
満面の笑みをたたえた隊員たちのあの雰囲気が、どうにもこそばゆかったからだ。
こちらも上機嫌に鼻歌なんぞを歌っている乱菊が、日番谷の質問に目を丸くする。
「隊長・・・」
動きを止めて日番谷を凝視した後、乱菊はゆっくりと破顔した。
くすくすと軽やかな笑い声が漏れる。
「ほんっと隊長は・・・・・・相変わらず、ですね・・・」
他の事には目敏いのに、自分のこととなるとまるで無頓着。
だからこそ、皆思うのだろう。
心から感謝したい。
そして祝いたい、今日という日を。
あたたかな日
「阿散井・・・なんだそれは」
「タイヤキっすよ」
「いや・・・それはわかるんだが・・・」
廊下の真ん中、何故両手に抱えるほどのタイヤキを差し出されているのか・・・その理由を是非に聞きたい。
珍しく乱菊がお使いに行きたがらないので、日番谷が直々に三番隊へ赴く途中だ。
「相手の好みが分からないときは、自分がもらって嬉しいものを贈ればいい。朽木隊長に教わった秘策です」
「・・・そうか・・・」
秘策でも何でもない気がするが、問題はそこじゃない。
得意げな恋次をみて、日番谷は首を捻った。
「・・・だからといって、何故俺に・・・?」
貰う理由がない。
強引に押し切られる形で受け取りながら主張すると、先ほどの乱菊と同じように、恋次が目を丸くした。
そしてこれまた同じように、嬉しそうに笑う。
「祝いなんで、遠慮なくどうぞ」
「祝い? つうか・・・こんなに食えるかよ」
のぞいた紙袋の中身、タイヤキの数は、優に20個は超えているだろう。
「大丈夫ですって、今日は千客万来間違いなしですよ」
「はぁ?」
目尻を下げたしまりのない顔で断言されても、訳がわからない。
この様子だと、頼り甲斐のある兄貴分として密かに名を轟かせているというまことしやかな噂は眉唾に違いない。
「阿散井副隊長〜」
眉唾だと衝撃的なことを思われているとは露知らず、呼ばれた恋次が不満げに舌を鳴らした。
「・・・・・・あぁ〜・・・なんか呼ばれちまったんで・・・」
だが「俺はこれで」と辞去の意を示しつつも、どうにも立ち去りがたい様子。
行きかけてはチラチラと日番谷をうかがい見、さも残念そうに妙な眉をグッと下げる。
「・・・・・・なら後で来い」
「・・・へ?」
何となく絆された観は否めないと自覚しながら、日番谷は挙動不審の男を見上げた。
「よくわからんが・・・とりあえずこれはありがたく頂くことにする。だから・・・」
屈んでくる小癪な胸板をドン、と拳で小突く。
「どうせなら、後で阿散井も一緒に食べればいい」
「日番谷隊長・・・」
不機嫌から一転。
呆れるほどあっさりと幸福感に包まれた恋次が、更にだらしなく相好を崩した。
『阿散井の好物なんだろ?』
なかなかお目にかかれない笑顔で、キラキラした眼差しで、そんな風に親しく誘われては、嬉しくないわけがない。
天にも昇る気分とは、まさにこのことだ。
(っしっ!!)
そうと決まれば、仕事はサクサク片付けるに限る。
足取りも軽やかに立ち去りかけ、恋次は慌てて足をとめた。
(やっべぇ・・・っ!)
うっかり大事な用事を、忘れるところだった。
「朽木隊長から預かり物があったんっすよ」
思いだして良かったと心底安堵しながら。
恋次は死覇装の懐から、雅びな封書を取り出した。
「日番谷隊長は金品はあまり喜ばないだろうからって・・・これを」
「朽木が?」
(ああ・・・首を傾げる様子すら、今日は輝いて見えるぜ・・・)
馬鹿なことを考える恋次の前で、日番谷が受け取った和紙を慎重に広げた。
文面に目を落とすこと数秒。
何やら考え込んでいた日番谷が、軽く頷いた後、ふっと苦笑を漏らした。
「怖いな・・・」
意味深な呟きが、恋次の好奇心を刺激する。
(こ、怖いっ!?)
自分が貰って嬉しいものを贈れば良いと明言した朽木が日番谷に贈ったものは何なのか。その辺の経緯を考えると非常に気になる反応なのだが、さすがに根掘り葉掘りきくわけにもいかない。
恋次の葛藤を知ってか知らずか、しばらく考える素振りを見せた日番谷が、不意にニヤッと笑った。他の者がすればタチの悪い笑みも、日番谷がすると魂を奪われそうなほど魅力的になるのが不思議だ。
「こちらからも言伝だ。是非とも頼みたいことがある。そう伝えてくれ」
頼んだぞ、と背を叩かれて我に返る。
ほけっと見惚れていたことを自覚し、恋次は誤魔化すように慌しく頷いた。
三番隊に辿り着いた途端、いつも以上の疲労感に襲われる。
「市丸・・・・・・」
背後からべったりと張り付いてくる物体を、日番谷は無理矢理引き剥した。
「重いんだ、よっ!」
「そんな〜・・・つれないこと言わんとぉ〜・・・・・・」
なぁなぁなぁ、とでかい図体を駆使しながらしな垂れかかってくる。
そんな軟体動物じみた市丸と格闘していると、頭をもたげてくるのは先ほど浮かんだ朽木への頼み事。
(・・・・・・早々に決行するか?)
あの封書には、流麗な文字で実に有り難い申し出がしたためられていた。
何故そんなことを思いついたのかはわからないが、あの朽木白哉が丸一日、日番谷の言うことを何でも聞くというのだ。
恋次が伝授されたという『秘策』に当てはめるのなら、朽木が日番谷に対して望むのも同様のことになるはずで・・・・・・それを考えると正直恐ろしい気はする。
だが、かなり貴重な権利であることは確かだ。何しろ相手はあの朽木白哉。使わない手はないだろう。
日番谷は半ば本気で考えた。
朽木に頼んで、今日一日、市丸を近づけさせないというのはどうだろう。
きっと夢のように、仕事がはかどるに違いない。
夢の日常に思いを馳せていると、いつの間にか正面に回っていたらしい市丸に両頬をグッと挟まれた。
不満そうなキツネ顔が、日番谷を覗き込んでくる。
「日番谷はん・・・ぼくの話聞いとった?」
「・・・聞いてねぇよ・・・」
「しゃぁないなぁ・・・今度はちゃんと聞いといてや」
「ああ。・・・つうか、近ぇんだよ!」
頬を包む大きな手。
そえられた手首を掴み、引き剥がそうと力を込める。
「おい、いい加減この手を放しやが・・・・・・」
「ぼくをあげるから」
「れっ・・・て・・・・・・・・・あぁ?」
手首を掴んだまま、日番谷は零れ落ちそうに目を見開いた。
『ぼくをあげるから』
今奇妙は言葉が耳に入った気がしたのだが・・・・・・空耳だろうか。
動きをとめてまじまじと見つめると「嫌やわ、そんな可愛らしい顔して」とか、目が腐ってるとしか思えないことを堂々とほざく。
戸惑っているうちに正面からぎゅうぎゅうと抱きしめられた。
「ちょ・・・苦し・・・」
「ありがたく、もろたってや?」
「はぁっ?いらね・・・」
もがく耳元に、落とされた言葉。
「あ、言い忘れたけど、返品不可やから」
「・・・なにっ!?」
今日はよほど気合が入っているらしい。
どれほど邪険にしても、市丸は離れる素振りも見せない。
早々に諦めて背中に張り付かせたまま隊舎に戻ると、そこには大物が二人も顔を出していた。
「冬獅郎! 欲しい物を教えてくれ」
勿論、物じゃなくても何でもいいぞ。
つまらない制限はつけないから。
妙に張り切って問いかけてくる浮竹に思わず嘆息。
「・・・えらく太っ腹だな・・・」
「そりゃぁ太っ腹にもなるさ。今日は大事な冬獅郎の誕生日だからな」
「・・・え・・・」
一瞬意味を理解しかね、目を丸くする。
「誕・・・生日・・・・・・・?」
日番谷の脳裏に、同じ表情をしていた乱菊と恋次の顔が過ぎった。
こういう気持ちだったのか、とようやくのこと理解する。
「日番谷隊長・・・貴方は相変わらずですね」
優雅に微笑む卯ノ花の言葉も、本日耳にするのは二度目。
朝、乱菊にも言われたばかりだ。
「あ・・・」
不意になんとも居たたまれない気分になり、日番谷は視線を泳がせた。
珍しく動揺している自覚がある。
無自覚にうっすらと色づく頬に、周囲から歓声があがるが、そんなことには気づかず顔を伏せる。
(ああ・・・そうか・・・・・・)
執務室を覗き込んでくる、隊員達の喜色に輝く表情。
来客用ソファーに腰掛けた、浮竹の、卯ノ花の、柔らかな笑顔。
乱菊は鼻唄まじりにお茶を淹れ、後ろからしがみついたままの市丸は顔を埋めた銀髪に頬擦りしているらしい。
こそばゆい気持ちに包まれながら、日番谷はようやく自覚した。
(そう、だったのか・・・・・・)
今日が誕生日だなんて、全く思い至っていなかったのに・・・。
優しく、微笑ましく。
向けられる数多の眼差し。
嬉しくて嬉しくてたまらない。
そんな気持ちが伝わっくるそれらは全て・・・今日という日の為のものなのだ。
両手に抱えた、まだほんのりと温かい大量のタイヤキ。
懐に入れたままの朽木の申し出。
室内にゆっくりと視線を流す。
執務机の上には、部屋を出た時にはなかった大きな瓶が鎮座していた。詰め込まれたきらびやかな金平糖から、贈り主が想像できる。
その横には、つい先日旨いと耳にしたばかりの銘柄の一升瓶。
いくつか積み置かれているのは、流魂街時代から馴染みの好物の包み紙。
今思い返せば、隊舎のそこかしこに、通常の倍以上の花が活けてあった。
いつもより多い隊員達の数も。
向けられる笑顔の数々も。
隊首席の横、いつの間にか運び込まれていた、見覚えのない大量の紙袋も。
(・・・っ!)
不意に、身体の内側からこみ上げてくるものがあり、日番谷は全身を震わせた。
気を抜けばあっという間に飲み込まれそうな、大きな何か。
抵抗のしようもなく涙腺を刺激する何か。
襲いくる衝動をグッと噛み締め、静かに目を閉ざす。
心のうちが治まるのを待ってから、日番谷はゆっくりと目を開けた。
震えそうになる唇を、叱咤しながら。
「・・・感謝、する・・・」
つまった声を情けなく思いながら頭を下げると、沢山の拍手に包まれた。
投げかけられるのは、あたたかい祝いの言葉と、優しい笑顔だ。
「ありがとう・・・」
付け足された小さな声を聞きとめた市丸が、回した腕にぎゅっと力を込めてきた。
「・・・幸せにならなあかんなぁ・・・」
ぽつりと零された言葉に、唇を噛み締めて頷く。
「ああ・・・そうだな・・・」
こんなに祝福されて、こんなに想われて。
景気の悪い顔は、していられない。
贈られたたくさんの想いに、恥じない男でありたいと思う。
深く息を吸い込んで、毅然と顔を上げる。
「これからも・・・よろしく頼む」
幸福のあまり自然と浮かぶ表情のままに告げると、何故だか歓声が追加された。
千客万来。
怒涛の一日を終えた十番隊隊首室。
「すっっっごい、ですね〜・・・・・・」
ほへーっと間抜けな感嘆詞をつける乱菊が呆れたように眺めるのは、所狭しと並べられた贈り物の数々。
高価で負担になるような贈り物を好まない日番谷の性格は知れ渡っているため、個々に見ると些細なものばかりなのだが、これだけ数があるとやはり凄まじいものがある。
「これ・・・殆ど全隊からあるんじゃないですかですか?」
指折り数える乱菊のはしゃぎっぷりはかなりのものだ。
変な虫がついては、と心配な反面、やはり日番谷が皆に好かれているのがわかって嬉しいのだ。
「・・・・・・祝うような年でもねぇがな」
総隊長からだという渋い包み紙を摘み上げていた乱菊が、キッと眦を吊り上げた。
「何を爺さんみたいなこと言ってんですか!!」
今のように渋く湯飲みを傾けられては、確かに老成してると言えなくもない。
だが、日番谷が爺なら、乱菊はさしずめ仙人級だ。
総隊長にいたっては化石だ、化石。
憤慨する乱菊の様子を眺めていた日番谷が、妙に納得した様子で頷いた。
「・・・それもそうか」
腕を組んだ指先が、細い顎を支える。
「俺は確かにまだまだ若造だよな・・・」
「・・・隊、長・・・?」
日番谷が自らの幼さを認めるなんて珍しい。
柳眉をひそめる不審気な乱菊の前で、まるで何かに思いを馳せるように日番谷の透き通る双眸が虚空に据えられた。
ついで長い睫毛が、頬に影を落とす。
一瞬にして生まれた侵しがたい静謐につい見惚れていると。
「ああ、そうだ・・・」
彫像と化していた日番谷の口角が、綺麗なラインを描いてほんの僅かに持ち上がった。
けぶるように伏せられていた瞳が、本来の輝きを取り戻す。
心なしか楽しげな様子。
(あ・・・まずいかも・・・)
乱菊の本能が警鐘を鳴らす。
ダメージを回避するため思わず一歩引きかけた時。
「なぁ松本・・・」
心臓を直撃する流し目が、あがく乱菊をしっかりと捕らえた。
既に自由を奪われつつあった身体が、見事その場で硬直する。
綺麗に笑んだまま「確か・・・」と続ける唇から、目が離せない。
「確か俺は 『ぼうや』 だったか・・・?」
「っ!!」
乱菊はひゅっと息を吸い込んだ。
覚えのありすぎる言葉。
あまりに懐かしいく、羞恥を誘われる言葉だ。
それは、出会った頃の。
幼い面影が、脳裏を過ぎる。
大きな目、華奢な肢体。
表情豊かな、あどけないの姿。
視線を転じる。
くつろいだ風に頬杖をつく、あの日の面影を残した日番谷がいる。
背丈は大きくは変わらない。
霊圧の質も同じ。
だが、纏う装束が違う。
包み込む安堵感が違う。
「松本?」
何気なく乱菊を見る。
愛しむような、深い眼差しが違う。
悪戯な笑みを滲ませて肩を竦める。
ひどく様になるそんな仕草も、まるで違う。
「隊長はっ・・・」
乱菊はふるっとかぶりを振った。
「隊長は、やっぱり爺さんです!」
「・・・あぁ?」
両足を踏みしめて立ち、ギュッと拳を握る。
『ぼうや』なんて、とんでもない。
心臓を射抜く流し目も。
思わず見惚れる些細な仕草も。
「隊長が『ぼうや』なら・・・そ、そんな色っぽい顔なんて、出来ないはずです!」
勿論ながら、百戦錬磨の乱菊を赤面させたりもしないのだ。
ただ・・・・・・乱菊が叫んだ瞬間の日番谷の無防備な驚き顔は、少しだけ・・・ほんの少しだけ、昔のようにあどけないと思った。
「隊長・・・」
「ん?」
呆れた風の日番谷を伺いつつ、躊躇いがちに口を開く。
『ぼうや』騒動で思い出したのは、目下のところ一番の 『ぼうや』 の存在。
「あの・・・一護、は来ないんでしょうか・・・?」
「黒崎? ああ、あいつなら・・・」
気遣わしげな乱菊をよそに、日番谷が意味深に笑う。
「明日、来いつってたな・・・」
「明日? 来いってことは・・・隊長が現世に行くんですか?」
ますますもってわからない。
今日、一護が来るのではなく、明日、日番谷が行くとはどういうことだ?
まめな一護のこと、日番谷の誕生日を知らないはずはないと思うのだが・・・・・・。
「あっ!」
不意に閃いたこと。
もしかして、と日番谷の方を向くと、雛森から届いた甘納豆を片手におもしろそうに乱菊を眺めていたらしい視線と出会う。
ああ、やはりこの表情は 『ぼうや』 なんて可愛いものでは有り得ない。
「現世では・・・明日、なんですね?」
詳しい仕組みはわからない。
だが、現世と尸魂界を移動すると、時間軸が狂うと聞く。
もしかして。
「さあな」
ひょいと肩を竦めるその様子。
髪をかきあげるその仕草。
口元に湛える楽しげな笑み。
又もや目を奪われてしまったことを悔しく思いつつ、乱菊は「はぁ」と嘆息した。
日番谷もまた、気づいたのだ。
12月20日。
恐らく総隊長を丸め込んでまで、その日に日番谷を現世に呼び寄せようとした一護の可愛い意図に。
そして気づいていなかったとはいえ、一度は了解した現世行きを、今更日番谷が覆すとは思えない。いや、例え気づいていたとしても、それが一護の望みなら、日番谷は最初から快く引き受けただろう。
(こりゃぁ大変だわ・・・・・・)
後日引き起こるだろう騒動を想像し、珍しく乱菊は肩を落とした。
普段なら面白がるところ。
だが、今回に限っては、大変なのはきっと日番谷ではないから。
明日の犠牲者は一護。
今日の様子からして、無自覚に絶好調な日番谷に『ぼうや』な一護が翻弄されることは想像に難くない。
そしてその後は・・・・・・。
間違いなく騒動に巻き込まれる予感は、幸福な悩み。
傍にいる為の代償として、諦めるしかないのかもしれない。
Fin.
2007.12.22.
うらら 杏様から隊長お誕生日フリーSS頂いてきました
こちらの隊長は皆から愛されて愛されて、そして格好良い!!
まさに理想の日番谷隊長Vv
杏様、有難うございました。