「なぁ、四番隊行こうぜ」
一護の言葉に、本を捲っていた手が止まる
自室の書斎にある椅子に座った冬獅郎はじっ・・・・と一護を見詰めた後、頭を左右に振った
あの日から冬獅郎の体調は少しずつ悪くなっていっている
倒れたりはしない。しかし顔色が悪く、身体を動かす事を辛そうにしている時だってあった
冬獅郎の体調の事は十番隊内だけでなく、今では護廷の殆んどの者が知っている
乱菊や浮竹だけでなく、総隊長の山本までもが冬獅郎に休むように言っている
しかし、当の本人には全くその気が無い様で、いつもどおりに仕事をしていつもどおりに自室へ帰っている
少々具合が悪くとも決して四番隊の世話になろうとはしない
結果、冬獅郎の身体を心配した周囲の者が、一護に冬獅郎へ四番隊へ行くように言って欲しいと頼んできた
「なぁ、冬獅郎」
「・・・・行かない」
言われるまでもなく、一護は何度も冬獅郎にこの言葉を言ってきた
元々細かった冬獅郎の身体は、ますます細くなってしまい、今ではきつく抱きしめると折れてしまいそうだった
「なんでだ?何で行かないんだよ!?」
「行っても無駄だ」
「んなの解らねえだろ?」
痩せていく冬獅郎を心配して、一護は何度か夕食を作って食べさせた。冬獅郎は礼を言って食べてくれるのだが、その量が驚くほど少ない
自分達は死神だ。この尸魂界では霊力のある者は腹が減る。生きている者と同じように食べて生きる力を得る
しかし冬獅郎の食事量はあきらかに少なすぎる。これでは生きる力を得ることは出来ない
『食べないんじゃねぇ・・・食えないんだ』
食欲がない と冬獅郎は申し訳なさそうに箸を置く
食べれないのなら四番隊で薬を処方してもらうなり、何処か悪いなら検査して治してもらわなければ、このままでは命に係わってしまうかもしれない
一護は力を入れすぎないように細い身体を抱きしめた
「頼むよ・・・俺との約束、破るんじゃねぇよ」
「・・・約束、か」
一護の肩に寄りかかりながら冬獅郎は呟いた
過ぎ去りし思い出 後編
「・・・なんで、こんな事したんだ?」
さらさらと、流れる銀色の髪を梳きながら一護は問いかける
一護に背を向けて横になっている冬獅郎からは、何の返事もない。だが、眠っていない事は確かだった
「冬獅郎、教えろよ」
もう一度呼びかける。すると今度は、ちゃんと答えてくれた
「御褒美だ」
「は?」
「始解出来た、褒美だ」
はぁ?と、一護は思わず冬獅郎の肩を引いた
始解出来た。たったこれだけで隊長である冬獅郎が他人に身体を許したというのだろうか?
「なんだそれ?納得いかねぇ」
ころん と転がって自分と向き合った冬獅郎に、一護は口付ける
「っん」
「てめえは始解出来た隊員とこんな事やってんのかよ?」
こんな事を言いたいんじゃない。本当は冬獅郎がそんな人でない事くらい知っている。だが、もっと一護を喜ばせる台詞を言ってくれても良いのではないだろうか
これでは喧嘩を売っているようなものだ、と自覚しながら頭に浮かぶ言葉を口にした
「誰とでも・・・やんのかよ」
てっきり怒られてベッドから蹴りだされると思っていた一護に、冬獅郎は微笑む
「?と、冬獅郎?」
「馬鹿。少しは解れよ」
ぎゅっと一護の鼻を摘みながらクスクスと笑う
「・・・とう」
「お前だから、に決まってるだろ」
「っ」
一護はぱぁっと表情を明るくすると、冬獅郎を抱きしめようと起き上がって腕を広げた
「とうし、ぅげっ!」
だがそれは叶わなかった。何故なら一護は冬獅郎に思い切り蹴り飛ばされたのだ。そして再びベッドから落ちる
「つけあがるなよ、餓鬼」
「と、とうしろ〜・・・」
「一回寝たくらいでこの俺を自分の物にしたと思うな」
ベッドの上から見下ろす冬獅郎を一護は涙目になりながら見上げる
「じゃあ、どうすりゃ良いんだ?」
「・・・言ったじゃねぇか、卍解だ」
「卍解・・・」
「そう。卍解に至ってみろよ」
そしたら と冬獅郎は挑戦的に微笑む
一護はぐっと拳を握った
「俺の物になってくれるんだな?」
「・・・・・」
「冬獅郎?」
冬獅郎は一度だけゆっくりと瞬きをする
そしてフッと笑った
「ああ・・・俺はお前のものだ」
喜びに顔を綻ばせ、今度こそ一護は冬獅郎を抱きしめた
絶対だぞ
約束だからな と何度も何度も冬獅郎に確かめた
一護の背に腕を回しながら冬獅郎は苦しそうに眉を寄せる。浮かれながら冬獅郎を抱きしめる一護はそれに気がつかない
腕の中で瞳を閉じながら、冬獅郎は数度頷く
「・・・・ああ・・・・約束、だ」
****
「お前は俺の物になるんだから、倒れられたら困るんだ」
「・・・」
「約束、破んのかよ?」
冬獅郎は瞳を閉じる
自分を抱きしめる一護の胸の手を置く
そして心の中で何度も「すまない」と誤りながら、可笑しくもないのにクスリと顔だけで笑う
「馬鹿餓鬼。誰が誰の物になるって?」
「っ」
「言う事聞かせたかったら、さっさと力を手に入れるんだな」
とん と一護の身体を押し返し、背を向けた
「何の力もない平隊員が、隊長の俺にあれこれ言うんじゃねぇよ」
ぎりっと一護が悔しそうに歯を食いしばる音が聞こえた
冬獅郎は一護に部屋から出て行くように告げる
一護は何も言わず強い足取りで部屋を出て行った
完全にその霊圧がいなくなったのを確信して、冬獅郎は振り返った
「・・・・・約束、破ってしまう俺を・・・許さないでくれ」
ぽたり と一筋の涙が流れた
「ムカツク!!」
一護は思いきり斬月を振り下ろす
ガン!と大きな音をたてて、恋次がそれを受け止めた
「八つ当たりで刀振り回すんじゃねぇ!」
「うっせぇ!腹立つんだよ!!」
一護は一旦離れるともう一度斬月を振り下ろした
「悔しい!力がないって言われた!」
「・・・一護」
「力がないと、俺は冬獅郎に『休め』って言葉一つかけちゃいけないのかよ!?」
斬月を引いた一護はグッと拳を握る
悔しかった
力のない平隊員と言われて
悲しかった
隊長である冬獅郎の事に口出しするなと言われて
「好きな相手に何一つ出来ない自分が情けなくて、腹が立つ」
「・・・」
「あの、意地っ張りで頭良いのにアホの冬獅郎を黙らせる力を持ってない俺がムカつく!」
「・・・だったら手に入れるしかないだろ?」
恋次は蛇尾丸を構える
「日番谷隊長に言う事聞かせるにはお前が強くなるしかない。違うか?」
「・・・恋次」
ニッと笑う恋次に、一護は苦笑する
「・・・ありがとう」
「気持ち悪ぃ・・・礼なんて言うなよ」
「素直に受け取れよ、馬鹿!」
恋次と一護は再び剣を交えた
卍解には斬魄刀の本体をこちら側に呼び出す「具象化」とその本体を倒す「屈服」が必要
特にこの具象化が困難であり、才能がある死神でも卍解に至るまでに最低十年はかかると言われている
「お前は死神一年生。しかもやっと始解出来たばかりだ」
「十年もやってられねぇよ。俺は急いでんだ」
それだけの年月をかけてはいられなかった。今すぐにでも卍解を自分の物にし、冬獅郎を四番隊に放り込まなくてはならないのだ
「解ってる。だからいい物を借りてきた」
「良い物?」
これだ と恋次はある道具を出した
「・・・なんだこれ?」
「隠密機動が使う霊具『転神体』だ。これで斬魄刀を強制的に具象化できる」
恋次の言葉に一護は息をのむ
「自分の力で具象化して屈服が本来の形だ。だが、いまのお前にはそんな事言ってられないだろ?」
「ああ」
卑怯と言われても良い。それだけ自分は切羽詰っているのだ
一護は恋次に言われたとおりに斬月を転神体に突き刺す
これで斬月は具象化する
「阿散井君をつれて修行してるみたいだな」
冬獅郎の自室に様子を見に来ていた浮竹が微笑みながら告げる。冬獅郎は「らしいな」と返すと、本のページを捲った
一護や乱菊、浮竹に「休め」と言われていた時にはそれを無視して仕事をしていた冬獅郎だったが、総隊長山本に命令と言う形で休暇を与えられては仕方がない
外出も禁止されているので、こうして毎日本を読み耽っている
「卍解だなんて無茶な条件出さないで、卯ノ花のところに行かないか?」
「・・・」
「皆心配してる。黒崎君だって、毎日ボロボロになるまで・・・」
「・・・浮竹」
冬獅郎は本を閉じると浮竹の名を呼んだ
「頼みがある」
「・・・なんだ?」
「黒崎は必ず卍解を自分の物にする」
浮竹は息をのんだ
冬獅郎の目は真剣で、一護が卍解に到達できると信じきっている
「それも短期間でだ」
「冬獅郎、それは・・・」
「出来る。あいつはその力を持っているだ」
今年死神になったばかりの一護を、何故そこまで高く評価できるのか
確かに始解出来てからの彼の霊力はそれ以前に比べて格段に上がった。だが、それでも上位席官くらいだろう
これから時間をかければ隊長クラスまで力をつける可能性もある
しかし冬獅郎は「短期間で」と言い切った
「無理じゃない。出来るんだ」
「・・・」
「それで、お前に頼みたいのはあいつが卍解を得た後の事だ」
「後?」
こくり と冬獅郎は頷く
そしてその後発せられた言葉に、浮竹は驚愕する
「・・・会いたかったぜ、斬月」
目の前に現れた長身の男に、一護は口の端を上げて笑った
この具象化した斬月を倒して「屈服」させれば卍解を手にすることが出来る。そうすれば冬獅郎の出した条件をクリアする事となり、彼を四番隊へ放り込める
「お前を屈服させたら全部丸く収まるんだ」
だから自分に倒されろ!と一護は斬月を指差した
斬月は静かな瞳で一護を見詰めた後、頭を左右に振る
「?」
『お前は私を屈服させる必要はない』
「は?何言って『私はお前に既に屈服しているのだから』
一護と、傍で聞いていた恋次が息をのんだ
どういうことだ?と一護は斬月に詰め寄った
『お前は忘れているのだ。過去の記憶を』
「記憶?」
『その中でお前は卍解を手にしていた』
とある理由から、一護は記憶を力を失っているのだと斬月は告げた
一護は理由を尋ねたが、今の自分にはそれを告げることが出来ないのだと、苦しげに話た
「どうして?」
『封印が施されている。それが邪魔して私の言葉に制限をさせる』
「・・・どうやったらそれは解ける?」
『・・・』
「それも言えないのか?」
斬月は頷く
一護は舌打すると、悔しそうに地面を蹴った
「誰だ?誰がそんな事しやがったんだ!?」
斬月は答えない
それが一護を更にいらつかせる
「・・・・・・・?あれは・・」
一護と斬月のやり取りを見守っていた恋次が、こちらへやってくる地獄蝶に気がつく
ひらひらとまっすぐ飛んでくる地獄蝶を、指を出して止まらせる
「っ!」
運ばれてきた言葉に、恋次は一瞬呼吸を止める
「斬月!教え「一護!」
恋次が慌てながら一護の元に駆け寄る
青ざめた顔色に、何か良くない事が起こった事が解った
近づく霊圧に、冬獅郎は目を開いた
「っ隊長!」
そこには泣きそうな副官と、不安そうな表情の浮竹が自分を見下ろしていた
冬獅郎を目覚めさせた霊圧の持ち主はまだここにはいないようだった
「・・・・つ・・・と?」
「良かった・・・・」
冬獅郎が言葉を発した事に気が緩んだのか、乱菊の目から涙がこぼれる
それを見て悟った
(また倒れたのか)
浮竹と話をしていたことは覚えている。彼に一護の事を頼んだのだ
その話をした時、浮竹は驚きそして同時に怒った。冬獅郎はその説教を聴いていた筈
(そうだ・・・あの後、急に胸が苦しくなって・・・)
息が出来なくなり蹲った。浮竹が呼びかけてくる声も徐々に遠くなった
「・・・」
冬獅郎は溜息をはくと、乱菊の頭を撫でながら浮竹に笑いかけた
「・・・世話・・・かけた・・・・」
「いいんだ。冬獅郎、卯ノ花にちゃんと看てもらおう、な」
まるで子供に言い聞かせているようだ、と冬獅郎は苦笑する。実際、彼にしてみれば自分は子供なのだろう。昔から彼は自分に己の子供のように接していた。あの頃は子ども扱いされるのが嫌で、ずっと不快に思っていた。だが、あれは彼なりに自分に気を使っていてくれていたのだろう。子供でありながら子供でいられなかった自分に
「冬獅郎?」
乱菊の頭を撫でていない方の手を握る浮竹に、冬獅郎は微笑んだ
そして頷く
了承した冬獅郎を見て浮竹が顔を綻ばせる
そして急いで卯ノ花を呼びに行く。どうやら部屋の外にいるようだった
(・・・そうか・・・ここ、俺の部屋じゃねぇんだ)
この時になって、冬獅郎は今いる場所が己の部屋でない事に気がついた。倒れてどのくらいの時間が経ったのだろう
この様子ではとっくの昔に卯ノ花は自分を看ている。もう彼女には解っている筈だ。これが病気の類でない事が・・・
「・・・日番谷隊長」
優しい声と共に柔らかな手が冬獅郎の額に乗せられた
傍に来た卯ノ花に目で問いかけると、熱があったのだと教えられる
「・・・もっと早く看させていただきたかった」
「・・・すみません」
卯ノ花の表情が暗い
冬獅郎は彼女にそんな表情をさせてしまった事に詫びる
目を閉じて冬獅郎は静かに口を開く
「貴女でも・・・俺は治せない。解って・・ます」
「・・・」
「だから・・・俺の好きに・・・」
冬獅郎の言葉に乱菊と浮竹が同時に卯ノ花を見詰めた。卯ノ花は悲しげな表情のまま、二人に頷いた
「そんな・・・」
乱菊が床に座り込む。それを浮竹が支えながら冬獅郎の名を呼んだ
「・・浮竹、黒崎の・・・事」
「っ」
「それが・・・望みだ・・から」
冬獅郎を数秒見詰めた浮竹はコクリと頷いた
その時、全員が近づいてくる霊圧を感じた
(・・来たのか・・・)
先ほど自分を目覚めさせた霊圧。浮竹か乱菊か、それとも十番隊の誰かか、一護に自分が四番隊に運ばれた事を知らせたのだろう
彼には自分の事など気にせずに、卍解を取り戻す修行をしてもらいたかったのに
一体どこまで一護の邪魔をしてしまうのか、冬獅郎は自嘲するしかなかった
「っ冬獅郎!!」
勢い良く開かれた扉の向こうで、真っ青な顔をして息を切らせる一護の姿。それを見ながら冬獅郎は泣きそうになるのを堪えるのに必死だった
(こんな俺を、お前はまだ心配してくれるのか?)
意識せず、手が一護へと伸びた。自分が彼を求めた事を、一護がその手を握った時に冬獅郎は気がついた
痛いくらい握られる。まだ自分は彼と同じ世界にいるのだと感じた
そしてあの時以来初めて思う
(俺は・・・お前と共にこの世界にいたい)
もう結末は変わらない。彼は全てを取り戻し自分はこの世界から去る
共にいられる世界に居る筈なのに、もう一緒にはいられない
自分が望んだ事である筈なのに、『嫌だ』と思った
ふと、頭の中に口の端を上げて笑う男の顔が浮かぶ
(もし・・・お前が生きていて、あの時の俺を止めてくれていたら)
−少しは結末が変わっていたのだろうか?
「・・・冬獅郎っ」
「なに・・・泣きそうな顔・・・してんだ?」
眉を下げて今にも泣き出しそうな情けない顔。思わず笑いがこみ上げてくる
「・・・良かった」
冬獅郎の微笑を見て、一護がホッと息を吐く
何が『良かった』なのだろう?冬獅郎が一護を見詰めていると、もう一度『良かった』と呟いた
「・・・浮竹隊長、松本副隊長、こちらへ」
二人のやり取りを見守っていた卯ノ花が、浮竹と松本を促して外へ出る。残された二人はそれに気がつかず、会話を続けた
「・・笑ってくれた」
「?」
「ここに来るまで、冬獅郎の顔を見るまで、ずっと不安だった」
恋次が受け取った地獄蝶の伝言。それは冬獅郎が倒れ、四番隊へ運ばれたという知らせだった
日に日に弱っていく冬獅郎を見ながら、何も出来ない自分
出来る事といえば、卍解を手にして冬獅郎にい言う事を聞かせるということだけ
本当はずっと傍にいたかった。自分の知らないうちに、自分が傍にいない時に冬獅郎に何かあったらと思うと怖くて、修行どころか任務にさえ行きたくないと考えはじめた自分がいた
それでも何とか自身を叱咤し、毎日の業務と修行をこなしていた
そんな時にもたらされた知らせ
「冬獅郎が笑ってくれる事。俺の名前を呼んでくれる事。会話してくれる事。生きていてくれる事。その全てが嬉しい」
「・・・」
「冬獅郎が俺と同じ世界にいてくれることが、泣きたいくらい嬉しい」
一護は冬獅郎の手を握って目を閉じる
閉じた目からぽたりと落ちた涙に冬獅郎は驚く
「ッ黒・・・崎」
「俺を・・・置いていかないでくれ」
ぽたぽたと次から次へと流れる涙を、冬獅郎はそっと拭った
一護は自分の頬を撫でる冬獅郎に擦り寄る
「・・・俺には、お前が必要なんだよ・・・」
その言葉に、冬獅郎の瞳から一粒の涙が零れた
抱きしめて欲しい
冬獅郎が小さな声で一護に願った事
一護はなるべく負担をかけないようにそっと抱きしめた
「そんなんじゃねぇよ・・・抱き上げてほしんだ」
「・・・良いのか?」
「頼む」
苦笑する冬獅郎を一護は抱き上げた。ベッドに腰掛け、膝の上に乗せて、体が冷えないように毛布をかけてやった
ありがとう と呟くように礼を口にした冬獅郎は、目を閉じて微笑む
「・・・・」
「黒崎・・・俺の何処に惚れた?」
「っ!」
冬獅郎からの突然の質問。一護は顔を真っ赤にして慌てる
「何処って・・・」
「寂しげな俺にそんな顔させたくないとお前は言ったな?」
こくり と一護は頷いた
偶然見てしまった冬獅郎の寂しげな表情。あの表情を冬獅郎にさせたくないと思った。あの頃の自分はただの死神を目指す学生だった
「少しでもお前に近づきたくて、十番隊に入った。でも俺は末端の隊士」
今のままでは冬獅郎に近づく所か気づいてさえもらえない。だから護廷中の死神の前で告白した
自分に気づいてもらう為に
「笑わせたい。幸せにしたい。傍にいたい。俺の気持ちだ」
「・・・」
「でも・・・実際、俺はお前の何処が好きなのかよくわかんねぇんだ」
一目惚れした
流れる銀の髪に
美しい翡翠色の瞳に
「・・・お前に一目惚れする前から、俺は変な夢を見てた。・・・現世にいる時からずっと」
「夢・・・?」
「誰かが泣いてるんだ」
『ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・』
誰かが一護の傍で泣いている。誰かは解らない。視界は真っ暗で、一護は自分が目を閉じているのだと悟る。体は動かなくて、もしかしたら眠っているのかもしれない
『ごめんなさい』
何度も謝る子供の声。その質から、男の子の物だと解った
−何を泣いている?
−何を謝っている?
−泣くな
−頼むから泣かないでくれ
泣いている子供を抱きしめたい。泣かなくていい、謝らなくていい。自分が傍にいるから
「手を伸ばしたいのに、抱きしめたいのに、俺は何も出来ない」
「・・・」
「そいつが何処の誰なのか解らない。声だけで、他は解らない。でも・・・尸魂界に来てから変わった」
ごめんなさい と謝る子供。真っ暗な視界の中に、小さな白い光
それは日が経つにつれ、人の形をとった
「顔は解らない。ぼんやりとしてて、どんな顔か、どんな体つきかも解らない」
『ごめんなさい』
「ただ・・・あいつの泣き声を聞くと俺も悲しくなる。謝る声を聞くと抱きしめたくなる」
一護は冬獅郎の髪に口づけた
「その子供が、お前に見えた」
「・・・・っ」
「悲しい表情のお前と夢の子供が重なった」
一護が冬獅郎に惹かれた理由。それは夢の中で泣く子供が原因だった
「・・・」
「・・・身代わりみたいで悪い。でも、冬獅郎を好きなのは本当・・・・」
一護は何も言わない冬獅郎の様子を伺い、息をのんだ
何故なら、冬獅郎が静かに泣いていたからだ
「と、冬獅郎?」
はらはらと流れる涙を「綺麗だ」と一護は思った
白くて滑らかな頬を伝う涙を拭う事、それはこの美しさを壊してしまう気がして一護には手が出せない
「・・・・あ・・の・・?」
「・・・とう・・・」
「え?」
今、冬獅郎は何を言ったのか。聞き間違いでなければ冬獅郎は「ありがとう」と言ったのだろうか
「冬獅郎?」
一護の呼びかけに冬獅郎は僅かに顔を上げた。そして涙を流しながら微笑む
「っ!」
それはあまりに美しい微笑だった
どんな風に笑ってくれるだろうか と一護が想像した冬獅郎の笑顔のどれとも違う
もうじき消えてしまうのではないか、そう思わせるほどの
−儚い微笑みだった
****
冬獅郎が倒れてから、一護は卍解の修行をしていない
少しでも傍にいたかった
これまでずっと、自分が傍にいない時に彼は体調を崩している。傍にいるから何か出来るというわけでないが、もう二度と自分がいない時に倒れられたくなかった
「一護」
だが、仕事を放り出して自分の傍にいる事を冬獅郎が許す筈がなく、朝は冬獅郎の病室から出勤し、仕事が終わると冬獅郎の病室に戻ってそのまま泊まる
そんな生活を送って五日経った頃、書類を持って廊下を歩く一護を恋次が呼び止めた
「今、ちょっといいか?」
「ああ、つかこれ六番隊へ持って行ってたんだ」
お前に渡す と手に持っていた書類を渡しながら一護は恋次に用件を聞いた
恋次は、難しそうな表情をしながらそれを受け取った
「?どうした?」
「・・・お前が四番隊へ走っていった後、俺は斬月から頼まれたんだ」
「残月から?」
こくり と恋次は頷く
「っ・・・冬獅郎が!?」
冬獅郎が倒れたとの一報を聞いて、一護は四番隊へと走った
恋次の呼び止める声も、具象化したままの斬月も置いて
「・・・一護・・・」
恋次も冬獅郎の事が心配だった。彼が隊長になる前から同期の雛森を通じて親しくしていたのだ、気にならないわけがない
だが、このまま斬月を放っておくことも出来ない
恋次は転神体に突き刺さったままの斬月に手をかける。その時
『阿散井恋次、頼みがある』
「!?」
まさか話しかけられると思っていなかった恋次は、驚いて数歩後ずさった
「・・・斬月に何を頼まれた?」
恋次はふぅ・・・と溜息をはくと、ある資料を手渡した
なんだこれ?とページを捲ると、そこに書かれている情報に目を開く
「藍染を首班とした叛乱事件。その真の結末がそれらしい」
「・・・・『死神代行・黒崎一護』・・・・これって!?」
そこにはこれまで瀞霊廷で記録されている歴史と全く違う記録があった
藍染と護廷十三隊との戦い。そして死神と共に戦った『死神代行』と現世の人間達
死神代行・人間でありながら死神の力を持つ稀有な存在
オレンジ色の髪を持った少年。その背に背負うのは身の丈ほどの斬魄刀『斬月』
一緒に載せられている写真は、今の一護と全く同じ顔
「・・・俺?」
「住所が空座町・・・お前、ここに?」
「ああ・・・俺はこの町出身だ。ここに書かれている井上や石田、茶渡は俺の高校時代のクラスメイトで・・・」
一護は恋次と資料を交互に見ながら頭を掻き毟った
どういうことだ?と何度も何度もつぶやいた
ここに書かれている『黒崎一護』が自分の事であるのなら、何故それを覚えていない?
何故瀞霊廷の記録から『黒崎一護』の事が消されている?
そして−
「恋次、お前も戦いに参加してるよな?」
「ああ・・・この記録じゃ、俺は『黒崎一護』と行動を共にしている」
「お前は『黒崎一護』を・・・」
恋次は頭を左右に振って「覚えていない」と告げた
誰も覚えていない。記録に残っていない
「っ」
一護は斬月の言葉を思い出した
『お前は忘れているのだ。過去の記憶を』
「忘れている・・・俺は記憶を・・・死神代行であった事を・・・『始解』も『卍解』も」
「!・・・封印されている。斬月はそう言っていた!」
一護の言葉に恋次はハッと気がつく。斬月は言ったのだ。『一護は自分を既に屈服している』『封印されている』と
そしてそれは一護の事だけではなかったのだ。自分も、そして瀞霊廷も、皆があの時の記憶を忘れさせられている
だが、ここで一つの疑問が浮かぶ
誰が、一体何の為にこんな事をしたのか
「恋次・・・この資料、誰が持ってた?」
「・・・」
「これを持ってた奴は真実を知ってるってことだよな?じゃあ、何故俺達がこの事を忘れているのかって事も知ってるんじゃないのか?」
「・・・斬月に言われたんだよ。あの人のところに行ってほしいってな」
斬月の頼まれ事。それは今となっては懐かしい人物の元へ行ってほしいという事だった
『浦原喜助の所へ』
現世にいる浦原に、一護が死神になった事、卍解を取り戻そうと修行している事を伝えてほしい。そう言えば彼は解ってくれる。そう言い残し、彼は斬魄刀へと姿を戻した
さっぱり意味が解らなかったが、斬月が何か秘密を持っていることだけは解った。そしてそれを浦原も共有している。副隊長である自分が、新人のしかも他隊の一死神の為に何故ここまで走り回らなくてはならないのか、自分の行動を可笑しいと思いつつ、しかし何故か『そうしてやらねば』という思いに駆られ、恋次は現世へと向かった
「浦原さんは俺の話を聞くと『そうですか』と頷くと、これを渡してくれた」
「・・・」
「『これが真実です』ってな」
真実・・・一護はもう一度資料に目を通す
『黒崎一護』の事。そしてどの流れで戦闘が始まり、誰と誰が戦い勝利したかという記録
そこに『日番谷冬獅郎』という名を見つける
「・・・冬獅郎は・・・」
「ん?」
「冬獅郎は『俺』の事を忘れているんだろうか?」
そりゃそうだろう と恋次が言葉を返す。一緒に行動した筈の自分でさえ覚えていないのだ。別行動だった冬獅郎が一護を覚えて筈がない
「・・・だよな・・・」
残念そうな表情をした一護は、ふぅ・・・と一度息を吐くと、「それで」と話を続けた
「その浦原さんだけど、他には?」
「日番谷隊長の事を聞いてきた」
「冬獅郎の事?」
今どうしているのか?
恋次が体調を崩していると教えると、詳しく聞かせてほしいと訊ねられた
「俺は直接隊長に会ってないから、伝え聞いている程度の事しか話せなかったが・・・」
それでも浦原は『わかりました』と表情を暗くして頷いた
「・・・どうして冬獅郎なんだ?」
「・・・一度先遣隊で世話になった・・・とは言っても、隊長は俺ほど世話にはなって・・・・・っ」
「どうした?」
「いや・・・」
そういえば・・・と恋次は自分の記憶がおかしいと気がついた
あの時、自分は浦原商店に寝泊りした
では他のメンバーはどうだったのだろう?
ルキアは?一角は?弓親は?乱菊と冬獅郎は?
彼らは一体何処でどうしていたのだろう?
ぽっかりと、深い穴が開いたようにそこだけ記憶が失われている
「恋次?」
一護の顔を見ながら息をのむ
あの時、自分たちは何故空座高校へ行ったのだろうか?
資料によると『黒崎一護』は高校生であった
もしかすると自分たちは彼に会いに行ったのではないだろうか
「・・・一護・・・現世へ行け」
「え?」
全ての秘密を握っている浦原喜助の下へ
かつて一護が暮らした
『黒崎一護』が住んでいた、空座町へ